現代社会に絶望した若者が山へ向かう物語

現代社会に生き辛さを感じた若者が山へ行くお話。

おじいちゃん

 私は今愛媛で農業法人に勤め、将来山奥で暮らすために農業のノウハウを学んでいる。しかし、先日祖父がもう長くないと言うことで実家のある愛知県に数日帰省した。

まだ地元を離れて2ヶ月しか経っていないのに駅付近は見慣れない光景になっていたし、家の近くでも大きなスポーツショップが取り壊されていたり記憶にある景色と大分変わっていた。変わってしまった物を見てみると、変わってないものを探して「ここが俺の住んでた街なんだ」と思いたくなるのか変わってない所を探してブラブラしていた。

そんなこんなで祖父の入院している病院に行った。祖父は意識はあったが、会話ができるような状態ではなかった。顔を見て、話をするとニコニコとはしてくれたが、体は痩せ細ってガリガリだった。話をしているだけで涙が溢れてきた。堪えるので精一杯だった。昔からお世話になった人だったけれど、私は自分をもっとドライな人間だと思っていたけれど、涙が出るなんて案外まだ感情があるのかな。とも思った。

お医者さんからはの余命宣告は私は聞いていないけれど、多分持って3ヶ月くらいに見えた。また、長期休みをとって、生きているうちに会いたいと思う。会ったら泣いちゃうから会いたくないんだけど会いたいと思う。よくわかんない気持ち。ほぼ寝たきりで背中が痛そうだった。終末期医療の「ホスピス」とか延命はしないけれど苦痛を取り除く治療とか、そういう路線を進んで最期まで楽しく生活してほしい。人が死ぬのは辛いけれど、辛そうな状態を見続ける方が私は辛かった。

こういうことがあって、人の死と西洋医学について、色々考えた。

人間っていうのは死に向かって進み続けていく。医療なんていうのはどの段階、どの年代でも延命治療には変わりなく、どのみち最後は死んでいく。西洋医学は特に応急処置な感じがする。個人的にあの病院の光景を見て、医者には死んでも生きたくないと思った。 日常的な生活を改善したり、漢方薬を飲んだりする東洋医学を最大限利用して、日々延命し、少しでも楽しく人生を過ごそうと思った。