現代社会に絶望した若者が山へ向かう物語

現代社会に生き辛さを感じた若者が山へ行くお話。

病み期 死にたい期

ああなんだろう。久しぶりに病んでる。こんな事を言うと、少し前にも病んでたじゃんって言われそうだけど、その通りである。しかし、漠然と死を考える事は久しぶりだ。

 

突然だけど、僕が最初に死のうと思ったときは中学1年生だ。小学生の頃から仲の良かった友人が僕の好きな人を広めてしまったのだ。この時僕は非常に気が動転してしまった。しかも親友に裏切られたと思ってしまい酷く傷ついた。この時が初めて死のうと思ったときであり、その辺りから日本人としての正規ルートを踏み外したと思う。

正規ルートを踏み外してからは転がり落ちる様に堕ちていった。授業への参加は減り徐々に現実逃避の時間が増えた。この時に部活動も行かなくなりそのままやめてしまった。この辺りから死を考えることが増えたし人と感覚がずれていったように思う。そのまま、中学・高校と進んでいったけれど僕の中では何も変わらない。勉強は最低限、運動は好きだったからある程度はした。ただ、本気になることができなくなった。そして現実逃避を続けている毎日だったと思う。それはそれで、非常に心地が良かった。

当時読んだ本だったか、小説だったかもう忘れてしまったが非常に印象に残っている言葉がある。「明日死ねるから今日生きられる」だ。どこで見たのか何で見たのか。これはその頃の心境。そして僕の病み期の心境を上手く表現した言葉だ。

 

こんな僕が何故21歳まで生きることができたのだろうか。要因は二つあると思う。

一つは現実逃避にある。ゲーム仲間と非常に仲良くなってしまったことだ。実際にリアルで会うことも何度かあり、非常に楽しかった。そんな仲間がいたこと。

もう一つは、思い人の存在だ。いわゆる片思いだ。小学生の頃に惚れ今に至るまで惚れっぱなしである。同じ小学校という事もあり、家は近い。高校、専門学校時代は一目見るためだけに、家の付近を良く通った。完全にストーカーである。ただ、そうやって顔を見ることができたからこそ、生き永らえる事ができた。

そんな彼女も今は東京で夢を追っているらしい。僕は実家に戻ってきたけれども一目見ることも叶わない。ゲーム仲間も仕事を始め、連絡の頻度も減った。僕が今日を生きるためのエネルギーはどこから受け取ればいいのだろうか。